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米国薬価制度改革はバイオ医薬品業界にとって苦い薬か

2023-10-18
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バイデン米大統領は8月16日、連邦議会が可決した「インフレ抑制法案」に署名しました。法案は医療保険制度、気候変動対策、税制などの見直しに総額7,000億米ドルを投じます。柱の一つである医療拡充の目玉は、薬価制度の改革です。これには1)高齢者向け公的医療保険「メディケア」加入者の処方薬の自己負担額引き下げ、2)医療費歳出の削減が含まれ、2023年から施行されます。バイオ医薬品業界への潜在的な影響はまちまちで、短期では小さいながらも、長期でのマイナス材料は精査する必要があるとみています。

米国の薬価制度改革の背景

米国の薬価制度改革は過去7年間、バイオ医薬品業界に影を落としてきました。2015年以降、薬剤費の抑制は民主党の政治目標の柱となっていました。このポピュリズムは、トランプ前大統領も受け入れていました。

民主、共和両党は過去7年間、薬価を引き下げるために何度か立法・行政措置を試みましたが、どれも失敗に終わっています。2021年にバイデン政権の下、民主党が多数派を占める議会は予算調整プロセスを通じて、薬価に関する規定を盛り込んだ「ビルド・バック・ベター(BBB、より良き再建)」法案の成立を目指しました。そして2022年夏、議会審議のペースが加速し突破口が開かれ、8月にBBB法案から薬価制度改革などを切り出したインフレ抑制法案が可決されました。

薬価制度改革の要点と政府予算への影響

米議会予算局(CBO)は、薬価制度の改革により2022~31年の約10年間で財政赤字が約2,880億米ドル純減すると予測しています。

薬価制度改革の要点と政府予算への影響

  1. メディケアにおける薬価交渉:約1,000億米ドルの歳出削減(2026年発効)
  2. インフレ・キャップ(インフレ率を超える価格引き上げへのリベート):約620億米ドルの歳出削減、約380億米ドルの歳入増加(2023年発効)
  3. メディケア・パートD(高齢者向け公的保険の処方薬保険給付)の見直し:約250億米ドルの歳出増加(2024年発効)
  4. リベート禁止ルールの撤廃:約1,220億米ドルの歳出削減(2027年発効)
  5. その他:約90億米ドルの歳出増加

メディケアにおける薬価交渉に関する概略

薬価制度改革の中でも、メディケアの薬価交渉がバイオ医薬品業界に最も大きな影響を与えるでしょう。概要は次の通りです。

1. 米保健福祉省(HHS)長官は、交渉対象医薬品リストを毎年定める。

  • 対象となる医薬品数:2026年は10種類、2027年および2028年にはそれぞれ15種類追加、2029年以降は毎年20種類追加。
  • 医薬品は、メディケア・パートBまたはパートDにおける総支出の順位に基づき選定される。
  • 医薬品は、市場に出た後9年(低分子医薬品の場合)、または13年(生物学的製剤の場合)が経過した後、組み込み/交渉の対象となる。
  • いわゆる「小型バイオ医薬品」は、2026~2028年の交渉対象の除外となる。
  • その他に承認されたジェネリック医薬品やバイオ後続品(バイオシミラー)、単一の適応症の希少疾病用医薬品、メディケア支出が2億米ドル未満の医薬品、血しょう由来の医薬品などが除外となる。

2. HHS長官は、製薬会社と薬価を交渉する権限を持つ。

  • 交渉価格には上限が設定される。具体的には、すべての医薬品に25%超の割引、市場に出た後12年が経過した医薬品には35%超の割引、16年が経過した医薬品には60%超の割引が適用される。
  • 交渉はメディケアが支払う価格にのみ影響し、民間保険会社が支払う価格には影響しない。
  • 医薬品は新たな適応症が追加された場合、または市場に出た後12年もしくは16年が経過した場合、再交渉の対象となる。
  • 交渉価格を拒否した製薬会社には、多額の罰金が科せられる。

出所:各種資料に基づきウエリントン・マネージメント作成。 ※上記は理解を深めていただくことを目的とした一例にすぎません。

バイオ医薬品業界への潜在的な影響

薬価制度の改革がバイオ医薬品業界に与える影響をすべて評価するにはある程度の時間を要するでしょう。ただし、短期的な(2026年までの)影響は小さいと予想されます。バイオ医薬品業界は、前述した要点のうち「メディケア・パートDの見直し」に関して概ね支持し、「インフレ・キャップ」に関しても受け入れる意向を示しています。しかし、「メディケアにおける薬価交渉」に対して強く反発しています。

業界が強硬に反対している薬価交渉は2026年に施行され、その後毎年対象範囲が拡大されるため、業界に最も大きな影響を与える可能性があります。メディケアの下で最も売れている上位50種類の医薬品の多くが、2028年までに25~60%程度の値下げ圧力にさらされる可能性があります。すなわち、実際は価格の「交渉」ではありません。他の医薬品も、売上高が伸びメディケア医薬品の売上上位に上れば、今後数年以内に値下げ圧力の影響を受ける可能性があります。

これは、バイオ医薬品業界にとって中長期的に重荷となるでしょう。ただし、この交渉においてかなりの裁量権を持つHHS長官による執行の不透明感、憲法に基づく同改革への異議申し立て、新法の抜け穴を突き金銭的インセンティブの変化に応じて研究開発(R&D)パイプラインを調整しようとする業界の動きなどを鑑みると、現時点でバイオ医薬品企業の業績に対する複数年先の影響を試算することは困難です。

ヘルスケアセクターへの投資の考察

薬価交渉は、一部の売れ筋医薬品の正味現在価値(NPV)に悪影響を及ぼすだけでなく、医薬品の研究開発における長期的なインセンティブを歪め、その結果、高齢者向けよりも若年者向け医薬品、低分子医薬品よりも生物学的製剤、単一の疾患のみ適応する希少疾病用医薬品が優先される可能性があります。また、薬価が引き下げられることにより、すでに流通している医薬品の適応追加を目指すバイオ医薬品企業の意欲が削がれることも考えられます。

主力医薬品が1種類しかない小規模バイオテクノロジー企業は今後数年間、薬価交渉の対象外となります。ただし、価格交渉の影響がそれらの小規模企業にも影を落とし、大手製薬会社の潜在的な合併・買収対象としての魅力が薄れるかもしれません。

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ウェン・シー

グローバル産業アナリスト